更年期オタ、あるいはオタ更年期に関する一考察

いつまで続けられるのだろう

自分はオタとして生きていく、という決意を持つ人もいる。
自分はもうオタとして生きていくしかないのかな、と思う人もいる。
僕の場合は後者に近い。消極的な選択を積み重ねていった結果、昔もオタだったし今もオタだ。きっと明日もオタに間違いない。


もちろん毎日はそれなりに楽しい。タダでテレビアニメはバンバンやっているし、ネットでいくらでも面白いネタやニュースは引き出せる。本屋に行けば趣向を凝らした雑誌やコミックが購入でき、PCやAV関連の最新技術情報も興味深い。1年に2度のコミケは定例行事だ。少ないけれどオタ友もいるし、2ちゃんねるの常駐スレもある。
「日々を楽しく過ごす」「今が楽しければそれでいい」結局のところオタ生活は刹那的な快楽の積み重ねだ。愛情は仮想空間で満たされ、性欲はあふれるエロメディアが解決してくれる。


だが、ふとたまに頭をよぎることがある。いったいいつまで、この生活を続けられるのだろう、と。


ふとアニメの登場人物の設定などを見てみると、もうティーンズな主人公たちよりも、その父親のほうが近い年齢の世代になった。しかも向こうは一戸建てで家庭持ちだ。
振り返って自分はどうだ。家もなし、子供もなし。もし人間の唯一の使命が自分の遺伝子を残すことだとすると、完全に失格だ。この先そうなる見込みも意気込みも薄い。

4つの低下と処方箋

さらに困ったことに、わずかずつではあるが、このオタ生活に疲労感、倦怠感、虚無感を覚えてきた、というのもある。要因はいくつか思い当たる。

体力の低下
「徹夜がつらくなった」「行列がしんどい」なんてライトなところから、「病気になった」「入院した」なんてヘビーなところまで。体力はすべての活動の源だ。
やる気の低下
何をやるにも腰が重くなった。とあるゲームを友人にすすめられて「メンドくさそうだし時間かかりそうだからいいや」と答えたのには、自分でもどうかと思った。
感性の低下
面白いモノを面白いと感じられる力は年とともに確実に落ちていく。多感な中高生のころと今の自分、作品を楽しめて消化できる力は果たして同じだろうか?
性欲の低下
誰にでも訪れる生理的現象。だが、性欲を担保に活動しているエロ関連のオタには重要課題となる。消費側も、そして制作側も。

こういった、更年期の症状にどう対処するか……。処方箋はいくつか出ている。


ひとつには維持療法。入る刺激の量、使うエネルギーの量を調整しながらオタ生活と向き合っていく方法だ。週20本見てたアニメを5本にする。月に買うゲームは3本から1本にする。しぜん、新しい作品の摂取量は減り、セレクトは枯れていくが、これはもうやむをえないだろう。
さらには代替療法。オタ趣味以外のもので、持続可能な快楽――あるいは幸福感と言い換えてもいい――を見い出す方向だ。仕事であったり、家庭であったり、ペットであったり。だが、薄まっていくオタというアイデンティティとどう向き合うか、今さらオタ以外の幸福感を見いだすことができるのか、という問題もある。

参考テキスト

ブログタイトルにもなっている、「更年期オタ」について少々、と書きはじめたらそれなりな長さになってしまった。この手のオタク更年期、オタク中年化問題については、ブログ界隈でもときおり話題になっており、自分も前々から訥々と考えてはいたのだが、発病と入院を経て変化をした部分もあり。そのあたりはまた別の機会に記したい。