日高本線

「で、結局様似まで何しに行ってきたの?」
と聞かれて、
「うーん、汽車に乗りに行った、かなあ」
と答える、そんな一人旅話。




札幌発6時24分東室蘭行の列車は、新札幌を過ぎると進行方向を南に変えてゆく。徐々に市街地から離れ、緑が濃くなっていく車窓の左手には朝焼けが見えてくる。4人掛けボックスシートの窓際に座って足を前に乗せ、そんな風景を眺めるのは汽車旅の楽しみのひとつだ。
快速でも特急でもない普通列車は、千歳線の駅にひとつずつ止まり、高校生やサラリーマンを乗り降りさせていく。斜め前のボックスに陣取っているのは、「BASEBALL CLUB」のスポーツバッグを網棚に乗せた男子高校生の集団だ。札幌から乗っていることから推察するに、駒大苫小牧あたりの野球部員だろうか。


南千歳でスーパー北斗の通過待ちのあと、トウキビ畑や勇払原野を抜けて苫小牧に7時52分着。キオスクで新聞とお茶を買い込み、1番線の日高本線様似行に乗り込む。
1両編成のキハ40は、平日にも関わらずボックスシートがすべて埋まっていた。日高本線は、苫小牧から様似を結ぶ146kmの長い路線だ。沿線には、静内や浦河、襟裳岬など観光地も多い。それに、いまだに廃止されず残っているのだから、それなりの需要はあるのだろう。
少々の逡巡のあと、先客が一人いるボックスシートの通路側に着席する。こんなとき、人のスペースを間借りしているような、若干の居心地の悪さを覚えるのは僕だけだろうか。


今回の旅に使ったのは「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」。普通列車に限り全線乗り放題、という青春18きっぷの秋版的なきっぷだ。値段は9180円也。3日分使えるので、一日あたり3060円ということになる。
昨今、すっかり市民権を得た鉄道ファン。自分はその中でも「乗り鉄」と呼ばれる、鉄道に乗るのが好き、という部類のファンだ。東京と札幌を鉄道で往復してみたり、廃止になる私鉄に乗りに行ってみたり、開通した新線に乗ってみたり。好みなのはもっぱらローカル線で、これから乗る日高本線も初乗りになる。


8時3分に出発した列車は、まず苫小牧東部の工業地帯(苫東)を抜けていく。広大な工業地域として開発された苫東だが、実際に売れたのは15%ほどと言われており、車窓的にも、原野の中にぽつぽつと工場やボタ山、石油精製所が見える程度だ。
日高本線は、路線図を一見するとずっと海に沿っているようにも思えるが、なかなか太平洋はその姿を現さない。昨日、センバツ出場を決めた鵡川高校のある鵡川駅を越えて、汐見駅あたりでようやく海岸沿いに出る。
海側には、晴天の陽光を反射して上がる白い波。山側には、牧場が点在し馬が草を食んでいる。このあたりは北海道でも温暖で雪が少ない地域で、競走馬の育成が盛んだ。
のんびりとした雰囲気のなか、空いたボックス席に移動し、家で作ってもらったおにぎりの包みをほどく。鉄道に乗りながらの食事は、ふだんより数割増しに美味しく感じる。カツオ節の具がいい案配だった。



右手におだやかな海を見ながら大狩部駅に9時23分着。コンクリートブロック造りの待合所が海岸を見下ろすガケの中腹にあり、まわりには人家もまばらな、いわゆる秘境駅だ。駅名標に並んだ「TVロケ地跡 女囚 塀の中の女たち」の案内板が面白い。時間があれば下車してみたかったところだ。
静内で列車交換のため17分停車。客も半数程度が降りる。ここは日高本線の中心駅で、観光センターや喫茶店が併設された駅舎もなかなか立派なものだった。


東静内あたりからは、日高山脈が太平洋にせり出しはじめ、線路も海側や山側を行ったり来たりと忙しくなる。カーブがきついのか、鉄輪のきしむ音が森の中に響く。丘陵地帯の牧場もあれば、畑作や田園地域もあり、トンネルもあり、鉄橋での川越えもありとなかなか車窓は変化に富んでいる。
10時56分に浦河駅着。支庁再編のあおりを受けてか、「日高支庁の存続を!」の垂れ幕が見えた。そういえば、浦河町日高支庁が置かれている場所だった。また、道民的には天気予報や地震速報でおなじみの場所でもある。「震源は浦河沖と推定され……」なんてのはニュースでよく聞くフレーズだ。
このあたりから列車は海岸線に沿って走る。日高昆布が干場で天日を浴びており、そのいい香りが車内にまで漂ってくる。水平線を眺めつつゆるく右へとカーブを描きながら、終着駅様似へは11時19分着。3時間16分の道程だった。



制服姿の女子高生が二人ほど、終着点の向こうへと歩いていく。何があるのかと案内板を見てみると、様似高校のようだった。こんな時間に登校なんだろうか。
ここからは、襟裳岬や広尾に抜けるバスに乗り継ぐ手もあるが、今回は別の目的のため、このまま12時8分発の列車で折り返す。「様似名物」を掲げた駅前の食堂は閉店していたので、近所のスーパーでパンとコーヒーを買って往路と同じ列車に乗り込んだ。
盲腸線の復路、ビデオテープを巻き戻すような景色のなか、持参してきたミステリー小説に目を落とす。なんの気なしに読みはじめたそれは、ほのぼのとした午後にはまったく似つかわしくないクローズドサークルものだった。


14時9分に清畠着、駅周辺を散策、この部分は別項に記そう。
1時間ほど過ごしたあと、いったん下り列車で隣駅の厚賀に向かい15時36分着。ローカル線に乗るとき、よくこんな風に途中の駅で降りてみることがある。別に地元の人とふれ合うわけでも、名物を食べるわけでもない。駅のまわりをぐるっと回ってみたり、車窓から気になった場所へ行ってみたり。そして往々にして、そんなことが思い出に残ったりする。


今回は、厚賀港の灯台まで防波堤づたいに行ってみよう、と思った。遠目に見た感じ、割とかんたんに行けそうに見えたからだ。
しかし、駅からまっすぐ海に向かうとそこは砂浜で、港はもう少々歩いたところだった。さらに防波堤も港の先へ先へと伸びており、灯台はその端になる。テトラポッドに波が打ち付けられ、堤防はどんどん細くなる。ここで海に落とされたら完全犯罪成立だな、と先ほどまで読んでいた小説のようなことを思った。
灯台近くはほとんど人も来ないのか、カモメが密集しており、近付いていくと一斉に羽ばたいて道を空けてくれる。陽が傾いた夕暮れの灯台はなかなか味があった。



少々急ぎ足で戻った厚賀駅から16時32発の苫小牧行きに乗り込む。17時半頃には日も暮れ、札幌に戻ったのは20時前。10時間ほどの汽車旅だった。


先日の日記で、入院生活に何を持っていくか、を、無人島に何を持っていくか、という問いに例えたが、そう考えると、一時退院中に何をするか、は、明日世界が滅亡するとしたら何をする?、というアリガチな問いに似ている。限られているかもしれない、外に出れる時間、何をやってもいい時間、いったい自分は本当は何がしたいんだろう。案外、こんな風に一日列車に乗っているのかもしれない。