K先輩のお見舞いと迫り来るなにか

今日は、大学時代のK先輩がお見舞いに来てくれた。読書家の先輩に、なにかオススメの書籍を貸してほしいと頼んでおいたところ、ミステリー、エッセイ等、揃えてくれたのはどれも好みに合いそうなものばかり。少しずつ読んでいくことにしよう。
K先輩は現在、腎不全を患い週3回・3時間の人工透析を受けている。しかも、透析を続けながらフルタイムの医療関係業務に従事。自分からすると、病気方面の先輩でもあり、病気と仕事の両立をしている先輩でもある。


入院して変わったことのひとつに、人の病気の話を聞くのが、がぜん面白くなったことがある。今までは、ケガにしろ病気にしろ入院にしろ、大変だなとは思うものの、どこか実感がなかった。自分とは関係ない世界の話のように感じていた。そんなわけがないことは、自分が実証してしまったわけだが……。
今では、積極的にお見舞いの人の病気話を聞いたり、テレビでその手の番組を見たりするようになった。共感できるし、ためにもなる。自分がそうなる可能性を考えてみたりもする。病気はもう、別世界のことではないのだから。


会話はいろいろとはずんだ。
高血圧から腎障害、透析に至るまでの経緯。その後の治療の大変さ、腎臓移植の難しさ。国内で長々と待つか、海外で高いお金を出して移植するか。腎臓病の世界では、移植は相当にハードルが高いようだ。
日本の医療制度は危機と言われるが、厚生労働省や病院の現場はよくやっている、という話も。白血病の高度治療をここ1ヵ月受けている自分も同感だった。そもそも、週3回の透析を保険で受けられる日本は世界的にも珍しいらしい。
病気になってあらためて健康のすごさを知った、というのも共通の認識だ。毎日ふつうに血が造られ、腎臓が動いて透析を行っている。人間の身体は大したものだ。
そして、病気と向き合っていると必然的に考えざるをえない、迫り来るなにか、の話。白血病の5年後生存率は、統計的に半々程度だ。透析患者ももって30年、という話だった。日々をどう生きるか、なにかに対しどう備えるか。それはずいぶんと重い課題だった。