独身男性・会社員のオタが突然入院したらどうなるか?

平凡でオタな会社員だった僕が、突然の白血病に倒れてはや8ヶ月。はたして入院したらどうなるのか? 会社は?給料は?保険は? 気になるその辺を、自分の経験をもとに少々記してみたいと思います。サンプルとなる「僕」は、大卒新入社員(正社員)で中堅企業に勤続10年少々。会社や雇用形態で対応がどうなるか、はまったく変わってきますので、そのあたりは適宜、自分の立場にあわせて読みかえてみてください。
人生、何が起こるか分かりません。建設中のビルから鉄骨が落ちてくるかもしれませんし、酔っぱらいの車が突っ込んでくるかもしれません。あるいは、突然の難病を発症する可能性もゼロではありません。「自分が突然のケガや病気をして入院をするハメになったらどうなるんだろう?」そんなリスクを考えてみるのも、たまには興味深いのではないでしょうか。
なお、あくまで自分の経験を元にしたものなので、普遍的なものではないと思います。専門家の方のツッコミをお待ちしております。

会社ってクビになるの?

なりません。休職制度、というものがあります。
自分の会社の場合は「業務外の傷病での休職」が適応され、「勤続満3年以上の者は2年までの休職」を行うことができます。僕は今は休職9ヶ月目なので、来年の5月までは休職が可能、というわけです。一般に、勤続年数が伸びるにしたがって、得られる休職期間も伸びていきます。といっても、上限は2年程度が一般的なようですが。
ただこの間は、給料は一切支給されない上、健康保険、雇用保険、厚生年金、親睦会費など各種控除も支払わなければなりません。給料がゼロになるのにどうやって払うの? というと……そこは次項に続きます。

休職制度はどこにでもあるわけではない?

自分のケースでは、クビにならずに済んでひとまずホッとした休職制度ですが、これは会社に設置が義務づけられているものではないようです。
『休職はどこの会社でも必ず制度化しなければいけないものではない。いわゆる、法定外の福利厚生措置の部類だ。よって、休職制度がない会社もあるし、また会社によって制度の中身は異なることもある』(休職制度の運用は慎重に! より)
このあたり不安な方は、一度就業規則を読み返してしてみたり、総務に問い合わせてみるのもいいかと思われます。病気で労務不能=解雇はかなりキツいですよ……。

給料はゼロになるわけ?

ゼロにはなりません。ケガや病気によって働けないとき、傷病手当金といって所属する健康保険組合から、標準報酬月額の60%が支給されます。月給20万の場合は12万円、月給30万円の場合は18万円、といった案配です。
ただこれは、自動的に振り込まれるわけではなく、毎月一回、傷病手当請求書を患者側で用意、医者から労務不能と診断の記載をもらった上で申請し、健康保険組合から後日振込となるのが基本です。多くの場合は、いったん会社の総務を通して申請を行い、上記の各種控除を差し引いた額の金額が振り込まれます。
これは、申請してすぐ支給される、というものでもなく、若干のタイムラグを見ておく必要があります。また、傷病手当金をもらえるのは、支給開始から1年6ヶ月の間までです。僕の場合は、最長で今年11月まで支給されます。それ以上、入院期間が延びたら、はあまり考えたくないですね……。

借りてる部屋はどうしよう?

長期入院となるときに、頭が痛いのがこの点。収入は減り、医療費はかさむので、部屋を借りたままであれば、家賃&光熱費はそれなりの負担になります。とりあえずそのままにするか、実家に引き上げるか、レンタル倉庫にでも移すか。復職した場合のことを考えると、そのままにしておくのがベターではあるんですが。
自分はいろいろと悩んだ結果、それほど家賃が高いところでもないので、そのままにして友人に時々様子を見に行ってもらっています。なにせ、オタ部屋で荷物も多いもので……。

実際のところ、入院するといくらかかるの?

「高額医療費」という制度があり、かかる医療費には上限があるので、天文学的な金額にはなりません。
一般のサラリーマンの場合、医療費の限度額は一月当たり(10割相当医療費−267,000円)×1%+80,100円となり、それ以上支払った分は後日払い戻されます。実際にはこれに加え、食事負担金額(一食あたり260円)、TV代や病衣代など病院独自の自費料金が加算された上で、月の請求額となります。
具体例で見てみましょう。僕が7月1日から31日まで入院したときの診療点数は153,002点。診療点数は1点10円なので、上記の式に当てはめると、負担金額は92,730円。これに食事代の260円×3食×31日分の24,800円、また各種自費料金が加算され、請求額は126,157円でした。
これを高いと見るか安いと見るかは難しいところですが、個人的には妥当な金額かな、という感じです。


また、2007年の春からは「限度額認定証」という制度が導入されました。今までの高額医療費はとりあえず多めに支払い、あとで戻ってくる、というしくみでしたが、限度額認定証があれば、上記の限度額までしか病院に支払う必要がありません。上の請求額も、限度額認定証を提示した場合のものです。(ただし、限度額認定証の発行には健康保険料の未納がないなど若干の条件があります)
また、高額医療費と限度額認定証は併用ができますので、いくつかの病院にかかった場合などは、あとで組合より還付される場合もあります。また、保険組合によっては付加給付制度といって、さらに手当が受けられる場合もあります。このあたりは所属する健康保険組合のHPなどを参考にしてください。

気をつけたい、差額ベッド代と保険外診療

健康保険が適応される医療行為は、先ほど言ったように高額医療費で上限がありますが、そうではないものもあります。代表的なものが差額ベッド代で、「大部屋はイヤなので個室にしてほしい」といったときには、その金額は自己負担となります。たとえば、個室料金が1日あたり1万円の場合、月の請求額はなんと31万円増しです。
また、保険外となる診療(自費診療)も、当然健康保険・高額医療費の対象になりません。僕の場合は、骨髄移植推進財団に支払う料金がそれにあたり、血液検査(HLA確認検査)が1回あたり31,500円など、結構な金額になります。骨髄バンクを利用する場合、受容者側(提供を受ける側)はトータルで20万から50万程度の自己負担となるのが相場のようです。
ちなみに、2008年分の医療費を計算してみたところ、財団へ支払った額を含めてトータルで120万円弱。車1台分、てところでしょうか……。

医療保険って入っておいた方がいい?

専門家によっては、「独身のうちは保険よりも貯蓄に回した方がいい」なんて人もいますが、これはもう、入ってなかった自分への自戒を含めて「入っとけ!」と訴えたいです。
たしかに医療保険は分の悪いギャンブルです。しかしそんなギャンブルほど、えてして当たりやすいものです。自分がケガや病気をする確率は、totoBIGジャンボ宝くじに当たるよりよっぽど高いでしょう。
月にCD1枚分、3000円程度があればそれなりの保険には入れますし、なにより、医療保険は基本的に「今、健康な人」しか入れません。これから先もずっと健康で、貯蓄が充分にあるのなら、保険なんて不要ではあるんですが。
必要か不要か、はいろいろな意見がありますが、現役白血病患者の実感としては、「入っとけばよかったなー」ですね……。

サポートしてくれる人の必要性

最後にもうひとつ。入院して一番重要なのは、周囲でサポートしてくれる人の存在です。入院してしまうと、外には出られず、買い物にも行けず、大幅に自由が制限されます。
僕の場合、東京では同僚のKさんや友人のNさんに大変お世話になりました。札幌では両親と兄に非常に助けられています。もし自分が入院したとき、周囲に助けてくれる人がいるかどうか、を考えてみるのも一興でしょう。

一時退院前の胃カメラ&大腸カメラ

お正月の食卓には、おせち料理が一通りならんだ。エビや茶碗蒸しなど、病院食とは思えない豪華さに驚く。お雑煮もあったのだが、具材はモチではなくてイモダンゴ。さすがにモチをノドに詰まらせて仕事を増やすのはまずいのだろう。
休みということもあって、家族や友人がお見舞いにも来てくれた。トランプや対戦を楽しんだり、お守りや破魔矢の差し入れもうれしかった。なんとか乗り越えたいな、と思う。


各種の数値もなんとか上がりはじめ、点滴も日程が終了。1月5日にはルート(中心静脈カテーテル)が抜けた。今回の点滴ルートは約3ヶ月保ったことになる。面倒なことも多々あったものの、注射も抗がん剤も輸血もつなぐだけで入るわけで、トータルで見れば楽ではあった。


年越しを病院で過ごしたついでに、術前検査もいくつかこなしていくことになった。歯医者、肺活量、CTスキャン、このあたりは楽勝だったが、問題は胃カメラと大腸カメラ。いわゆる内視鏡検査だ。どちらもはじめての経験だけに、不安が先に立つ。


最初に行われたのは胃カメラの方。「鼻から入れる快適な内視鏡」みたいなポスターが院内に貼ってあったので、すっかり鼻から入れるのかと思っていたら、より精密な検査が必要とされる自分の場合は、どうやら口かららしかった。
朝食抜きで内視鏡室に呼ばれて、まずはノドの麻酔薬を服用する。ネバネバするその液体を口に含み、上を向き、ノドにためたまま5分ほどガマン。
その後、施術室に移って、専用マウスピースを着用、ずるずると胃カメラが挿入されていく。麻酔を入れてるとはいえ、ノドの付け根に異物が当たる嘔吐感はそれなりにあり、看護師さんに背中をさすってもらい、指示に従って深呼吸を繰り返してなんとか乗り切る。「自分の胃の中見てみるかい?」と言われたものの全然そんな余裕はなく。
これは割とキツく、終わってからもしばらくオエッとする感じが残った。


さらに次の日には大腸カメラだ。前日の昼食からはそれ用にメニューが変更され、昼はビスケットとおかゆとスープ、夜はスープのみだ。できるだけ腹に入れるモノを少なくしておこうという公算だろう。
翌日朝からは、2リットルの下剤を3時間かけて飲み下す。味自体はうまくもまずくもないのだが、モノがモノだけにお腹は急降下をしつづけ、何度もトイレと往復するうちに、すっかり便は水状になった。これで準備はOKということのようだ。
大腸カメラ自体は、下の方から比較的すんなりと入った。これはそんなにツラい感じもなく、なにか体内でニョロニョロとした感じがする程度。触手ってこんな感じなんだろうか、とか思った。
こちらは多少が余裕があったので、腸内の様子を自分で見ることができ、「ここが小腸の入り口になります」「このあたりが大腸です」「若いからかキレイですね−」「S字結腸を通ります」と、内視鏡医のガイド付きで見る自分の体内は不思議な感じだった。


1月8日と9日に検査をこなして、一時退院は1月11日。
ただ、白血球の数値はまだ基準の2000に至らずの1800。おそるおそる先生に、
「あのー、やっぱり寿司とかは食べちゃまずいですよね……?」
と聞くと、返ってきたのは
「いえ、これぐらいあれば大丈夫ですし、しばらくナマモノも食べられなくなります。好きなものを食べてきていいですよ」
という答え。
それはそれでありがたい。のだけれど、なんかこんなセリフどっかで聞いたな、と思ったら、ドラマで見た、末期がん患者への言葉にこんなのがあったような気がする。いやいや、気のせい気のせい。リミッター解除で、食べたいものを食べたいだけ食ってくることにしよう。

年越し、病院にて

12月の年末にかけて、入院病棟では空き室が徐々に増えていく。年末年始は家に戻りたい、という患者の希望は多いらしく、それにあわせて治療のスケジュールを調整することはよくあるそうだ。また、12月28日から1月4日までは外来もお休みになる。よほどの緊急事態でもない限り、この時期に入院する患者はいない、というわけだ。
自分はというと、今回は白血球の上がりが遅く、年内での一時退院はムリ、との話が12月30日にあった。移植を2月にひかえたこの時期、優先するべきは自分の都合より病気の都合だ。病室で年越しを迎えることになることは、少々残念だがしょうがない。こんな経験もそうできるものでもないし、これもアリかな、とも思う。


晦日にもかかわらず、22時より点滴3本の予定が入っていた。さらに幸いか不幸か、隣室も向かいの部屋も空き部屋だ。つまり、消灯時間を過ぎても看護師さんにとがめられず、テレビの音を出して見ててもいい、というわけだ。
昼は年越しそば、夜にもそれらしいメニューが出て、雰囲気は盛り上がる。テレビからはおなじみの「今年もあと5時間となりましたが……」なんてやっている。
自分はといえば、NHK-FMアニソン三昧と紅白をザッピングしつつ、実況に参加したり、適当にネットしたり。なんのことはない、ふだん東京の家で過ごす年越しとさほど変わりはなかった。
らき☆すたみなみけ苺ましまろのつなぎにテンションが上がったり、パフュームを観たりで、徐々に時は迫ってくる。年またぎはテレビ東京系でやっているクラシックコンサートで過ごすのがここ数年の習慣だ。カウントダウンの瞬間には、点滴をチェックしに来た看護師さんとたまたま時を同じくする。
「あ、あけましておめでとうございます、ですね」「ですね、あけましておめでとうございます」と年頭のあいさつを。


今年はいったい、どんな年になるんだろうか。

詰まる話

(完全なシモ話です、お食事中の方などはご遠慮ください)


もうひとつ今回は、おそらく抗がん剤の副作用である、人生初の便秘に悩まされた。
一日たっても、二日たっても、三日たってもお通じが来ない。胃から腸にかけてがキリキリと痛み、腹がはちきれそうにふくらんでいくのが自分でも分かる。下が詰まっているのだから上から入るわけもない。食欲もどんどん落ちていった。
人生には経験しなくてはわからないことが多いが、便秘の苦しみもそのひとつだろう。思い返せば健康な時代は、適当な本や雑誌を手に取り、会社のトイレに腰かけて読書にふけっていれば、いつの間にか出て流すだけだった。一日一回便があるなんて、当たり前すぎてそんなことを深く考えたこともなかった。


先生や看護師さんに症状を伝えて努力はした。便を軟らかくするマグミット、下剤のラキソベロンを内服し、出そうで出ない、いやな感覚とトイレで長時間格闘する。なるほど、暖房便座の「低温やけどの恐れがあります。長時間ご使用になるときは、便座入/切スイッチを切にしてご使用ください」とはこういう時のための注意なのだな、と合点がいった。食物繊維を取ったり、便秘に効くという体操を試したりと……が、まったくもって出る気配はなかった。


そうなるともう、最終手段しかない。もちろんこれも人生初だ。エロ系メディアでは散見する趣向ではあるが、まさか自分が試してみるとは思いもよらなかった。恥ずかしいのももちろんあるが、それよりももう一刻も早く楽になりたかった。詳細は省くが、恥辱と我慢、開放感に満ちた経験だったと記しておくことにしよう。
いや、失礼しました。

だるさレベル上昇中

ひとくちで「だるい」と言ってもその症状には幅がある。
病気になる前のときも、「あーだりー、なんもやる気しねー」なんてつぶやくことはしょっちゅうだった。ただこの場合の「だるさ」というのは9割ぐらいが精神的なもので、肉体的にはなんとかなる場合がほとんどだ。
一方、病気的に「だるい」という場合、それは肉体的なものが原因になる。今回の「だるさ」はそちらが理由だった。


血液の中の有効成分、白血球、赤血球、血小板が下がり続け、肝臓の負担が増えてGTP/GOP/γ-GTPの値がどんどん上昇していく。身体の中で悪い菌と戦っている度合い、炎症反応は10を突破した(通常値は0.3以下)。さすがに抗がん剤4種類は効いた。
もうこうなると、何をするのも面倒になる。症状的には、歯茎、のど、胃腸、節々の痛みがあり、ネットをするのもアニメを見るのもおっくうになる。今までも治療は行ってきたが、今回はさらなる異次元のだるさだ。ベッドの上に座っているのもつらいぐらいで、ベッドに横たわり、「つらい、きつい、痛い」と転がるばかり。眠りもかなり断続的で、寝具合もよろしくない。
お見舞いに来てくれた両親と話したり、どうでもいいテレビを流し見してなんとか気を紛らわせる。しかもこの「だるさ」というのは外見的にもわかりにくいし、人に伝えるのも難しい。


例によって、肝臓に効く薬、ケベラ・強ミノの注射、抗生物質の点滴、血小板・赤血球の輸血のスケジュールが断続的に組まれる。なんでもいいから早く上がって欲しい、と願うばかりだ。そしてこんな時に限って時間が過ぎるのが妙に遅く感じるのだった。

一面の銀世界と、地固め療法4回目

朝の内服薬

朝、病室のカーテンを開けると外は一面の銀世界だった。
今回の再入院は11月28日。割り当てられたのは角部屋個室。寒冷地特有の二重窓からは、駐車場や一軒家、そして手前から奥へ続く一本の道が見下ろせる。この道は最寄り駅へ向かうルートになっており、朝夕には学校や会社へ向かう老若男女が行き交う。さらに奥には、天気がよければ札幌近郊の山並みも見渡せる。
窓越しにそんな景色を眺めながら、こちらとむこうとは何が違うのか、なんてことをぼんやりと考える。むこうは健康でこっちは病人。むこうは自由でこっちは不自由。もちろん、それぞれに自由も不自由もあるのだけれど。
積もったり、溶けたり、を繰り返しながら、やがて雪は根雪になり、冬は白色に染まっていく。そういえば上京したてのころ、まったく雪が降らない冬に違和感を覚えたのを思い出す。やっぱり、雪のある冬が僕の知っている冬だ。


そして今日から、地固め療法4回目、トータルで5度目の抗がん剤治療が始まる。
「移植前の最後の治療になりますので、少し強めの量になります」
との説明が先生よりあり、今回投与される抗がん剤は、トータルで4種類。キロサイド、ラステット、オンコピン、フィルデシン、を点滴と注射で10日間、というスケジュールだ。いつもは2種類5日間なので、種類も日数も倍になる。
「人の身体は食べたものからできている」なんて言葉があるが、そうなるともう、自分の身体の半分ぐらいは、よくわからない点滴液と内服薬でできているに違いない。
できれば年内に終了して一時退院できれば、という話もあったが、こればかりはどうなるかはなんともいえないようだった。

旭川・Dさんのお見舞い

旭川の友人、Dさんが骨折で入院した、と聞いた。Dさんには2度ほどお見舞いに来てもらったこともあり、これはお返しをするいい機会ではないか、それに、ふだん来てもらってばかりいる自分がお見舞いに行くというのも、なんというか面白い。
おりしも今は一時退院中。札幌在住のKさんと都合を合わせて、JRのスーパーカムイあたりで行こうかと画策していたところ、別途Yさんより休みが取れ、車が出せるようになった由。3人ならば料金的にも利便的にも車がいい。男3人で旭川までの日帰りドライブとあいなった。


札幌から旭川まではおよそ130km。行きは下道で3時間、帰りは高速を使って2時間、がおおよその目安だ。午前中に札幌を出発、空いた道を快調に飛ばして昼過ぎには旭川に着いた。
昼食は、隠れた旭川名所らしい390円でカレー食べ放題の店「こめ八」で。とはいえもう食べ放題でそんなに喜ぶお年頃でもない。ラーメンセットを頼み、カレー2杯を食べたところでギブアップ。デカ盛りメニューも多く、大食いの人ならもっと楽しめそうだったのだが。


Dさんが入院しているのは整形外科。なんでも、重機のタイヤ交換をしているときに、誤ってタイヤを足元に倒してしまい、右足くるぶしの骨を折ったとのこと。重機のタイヤは数百kgあり、相当な衝撃だったようだ。手術は行わずにギプスで患部を固定治療、全治は3ヶ月程度らしい。
仕事中のケガなので労災が適用され、治療費や給料は会社で補償されるそうだ。入院期間も短いようで、11月中には退院させられ、以降は通院での治療となるとの話だった。
思ったほど大きなケガでもないが、かんたんに治るというものでもない。スポーツ選手が急いで復帰してまたケガをする、なんてのもよく聞く。無理はしない方がいいだろうね、でも家でならいくらでもヒマつぶしはできるんじゃない、なんて話を。


入院患者として興味深かったのが病室のつくり。最近改築したというその病院は、木のぬくもりを生かした作りになっており、病室はすべてが個室。自分が入院している病院もそうだし、最近の流行なのだろうか。
食事を取るデイルームには大型プラズマテレビがあり、患者同士のコミュニケーションに有用そうだ。また、D端子付きデジタル対応15インチ液晶テレビが部屋に設置されているのは心底うらやましかった。こっちは未だに14インチのアナログブラウン管だというのに。リハビリルームが充実しているのは、さすが整形外科という感じだ。
お見舞い品を渡し、2時間弱ほどの滞在で引き上げることになった。「お大事にね」「ええ、お互いに」と部屋の出口であいさつを。
とはいえ、骨折はまず確実に治る病気だ。後遺症もないだろう。同じ病人とはいえ、うらやましく思う面がなくもない。ああいや、こういうネガティブな発想はよくないな。


帰り道に、雨の高速でワイパーが動かなくなる緊急トラブルが発生して大変なことになったのだが、これはまた別な話に。